昭和29年6月、東京は荒川区の化学会社に                        (店主1歳)
勤めていたまじめ一本の父と専業主婦の母の間に
私は産まれました。 2年後弟が産まれます。

今年(平成30年)63歳になります。因みに怪獣のゴジラも
この年に生まれ、第97代目の安倍総理大臣も
同年代になります。
さらに、元ヤンキーズの松井とはなんと、
誕生日(6月12日)さらに・・・・
昨年生まれたパンダのシャンシャンも
この日に生まれました。だから何?

 本文に戻って
4人家族の中で長男として育ち、比較的厳しい母から毎日
怒られて育ちます。
長男独特の要領の悪さ、両親には決して逆らう事の
出来ない性格、お決まりの長男像がそこにはありました。
                                           
そして私が3歳の時 ある事件が起こりました。
”誤診”です。
3日麻疹を伝染病と間違われ、突然1ヶ月間親元から離され(隔離)ました。
面会は週1回、丁度クリスマスの25日 その年も押し迫った日でした。  
その病院はたとえ後で誤診とわかっても、その場で退院は許されない事に
なっていたのです。 そこは誤診の子供ばかり集められた、
さながら保育園の様な病棟でした。
   (店主3歳)
店主3歳
その体験が今日の私を形成づけた様に思います。家の前にて
母の温もりが一番欲しい時期に母から離され、自分以外頼る人も無い。そんな思いが3歳だった子供の脳裏に強く焼き付けられました。

それが、現在の自立心と自己主張を生み
今に至っている様に思います。

それからは、ごく普通の生活に戻り、地元の
小中学校を経て高校は鳴かず飛ばずの成績。
楽しみと言えば、放課後の軟式テニスの部活。
          学業そっちのけで、テニスに没頭。   
        しかし・・・その時の友人(6人衆)が今でも、私の掛替えの無い財産となっています。

      その後、調理師学校へ進んだのは、持ち前の自立心が頭をもたげ
      「一人の力で生きていく道はこれだ!」と、私を駆り立てたのだと思います。
    (店主22歳)

調理師学校を卒業して、レストラン(足立区)に就職、
コックだけでも9名、銀座三笠会館で修行したオーナーや
チーフ、先輩達のもとで三笠スタイルのフランス料理
を学びました。

3年後セカンドチーフになり、4年目に引き抜かれ、
1年後その店のチーフを任され、そこで2年間お世話に
なりました。


そんなある日、仕事から帰ると母が「春日部にいい物件が有ったからそこに決めてきたわよ」と突然の出店を知らされる事になりました。

その時私は25歳でした。

母の言う事は天命の様に受け止め、開店するなら一人でこなせる
専門店、それも仕入れ数が少なくロスの出ない、そして何より
大好きなとんかつ屋と決めていた私はがむしゃらに開店作業に
入りました。

春日部と言っても右も左も判りません。
そして話が持ち上がってから10ヶ月後開店に
持ちこんだのです。


    (店主25才)



若さゆえ出来た芸当でした。
開店前夜、母が私にこう尋ねました。
「明日開店だけど、本当にカツを揚げられるの」
その言葉に、私もいささか苦笑しました。
そして遂に、とんかつ一幸開店!

    
あれから早いもので今年の(平成24年)1月15日で33年周年を迎えました。
現在、多くのお客様に可愛がってもらえる店になったと自負しております。
今では二人の子供に恵まれ、心強い妻に支えられこの不況を何とか
乗り切っていこうと頑張っています。

現在、皿洗い 出前など縁の下の力持ちとして店を支えてくれた父は
平成10年、脳梗塞で倒れ寝たきりで当店の2階で床に付いていましたが、
平成18年の9月12日に他界致しました。(享年83歳)

レジ、経理、接客と店の看板になってくれていた母(今年で89歳)は、父の病気に伴い
後継を妻に任せ一戦を退きました。

これからも、皆様に愛され、「うまい」と言って頂ける店作りに頑張っていきたいと
日々、精進しております。

そして・・・・・・・・・・・

実は私がとんかつ店になったのには、二人の人物に大きな影響を受けたのです。

その一人が・・・・・・・次へ

戻る
                                        店主