店主の独り言

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平成18年10月
先月の12日、父が他界しました。享年83歳でした。
55歳の時、30年間勤めていた会社を退社し、脳梗塞で倒れる75歳までの20年間
私の店を、縁の下の力持ちとして支えてくれました。
慣れない皿洗い、出前持ち、店の掃除から細かな修理等、表には出ない裏方に徹して
くれた20年間でした。
性格から「いらっしゃいませ」と言えるまでに2年近くかかった父でしたが
決められた仕事は文句一つ言わず、淡々とこなす、真面目一筋の人でした。
また、店の用意がまだ出来上がっていなくても、時間になるとピタッと暖簾を出し
「こんな状態で暖簾出すのはちょっと待ってよ!」と言う私に
「商売は時間を守るもんだ」と言い放って、さっさと2階に上がってしまう
ゆうずの聞かない父でもありました。
ある日、
「下の世話になるくらいなら、死んだ方がましだよな」と言っていた父は
6年半もの間、寝たきりの生活を、送りました。
それが、父の幸せだったかどうかは、聞くことは出来ませんでした。
しかし、父は最後、私達家族4人揃っている部屋で、静かに息を引き取る事が
できました。
寂しい思いをしないで済んだ事は、何よりも良かったと思っています。

最後に
亡くなるまでの4年半、誠心誠意父のために尽くしてくれた家内に心より感謝します。
この場を借りて
「ママ、本当にありがとう。 そして、お疲れ様でした」
平成18年6月7日
村上ファンドの村上さんが、逮捕される日の午前にインタビューをしている映像が
テレビから流れて来ました。その中で「検察側のロジックとしては・・・・・」と村上さんの
口から、出てきました。「ロジック?何だロジックって」インタビューの内容よりその言葉に
興味を待ち早速ネットで検索。
「えーっと、ロジックねー。何々、論理かー。ジャー論理って言えばいいのに」
と思いながらも、自分で使えるか直ぐに頭の中で文章を作っています
「私のロジックは・・・・」     なんか取って付けたみたいだしなー
「店側のロジックとしては」   「はー?」何それなんて言われそうだし
やっぱりこの言葉、私にはむかないです。
平成18年5月7日
ゴールデンウィークの真っ只中、娘を連れ銀座まで映画を観にいきました。
久々に見る大都会。いつの間にか御のぼりさんになっている自分に気が付いてはいても
それをどうしても拭いきれません。「アレが、ワコーだよ」「あそこの、あのライオンが三越」
などと、娘に嫌われる事を承知で、指を指してつい説明?してしまいます。
映画の後、その三越へウィンドショッピングと洒落こんで入ってみると・・・・・・・・・・・
今をときめく、モデルの”えびちゃん”を発見!
「ねー、あれえびちゃんに、似てない?」「ちがうよー」と娘。
「ちょっと違うか」「全然ちがう!」 連休も重なりかなりの人ごみ。さらに掻き分け進むと
「あれ?あの人もえびちゃんに、似てるよね」「化粧がね」
そうなのです、あっちこっちにえびちゃんが出没している事に気が付きました。
売り場の販売員さんにも、お客さんの中にも点在しているのです。
華やかな場所に縁遠い私には、年頃の女性の多くが、えびちゃんに見えてしまうのも
仕方ないのですかね。
帰宅してそれを家内に話すと。
「全く、鼻の下を伸ばして、何がえびちゃんえびちゃんよ!あーやだやだ」
「・・・・・・・・・」「家にはねー、もっと凄いのが居るの知らないの?」
「もっと凄いのって・・・・なにそれ?」「伊・勢・え・び」
・・・・・・・・そうでした家には、えびちゃんをしのぐ伊勢えびが居ましたっけ。
完敗!
平成18年1月10日
”美女と野獣”のカップル?
テレビのワイドショーから、辺見えみりさんの結婚会見が流れてきました。
「あーあ、彼女も人妻か」と思いながら見ていると・・・
辺見えみりさんが、インタビューに答えて「男は顔じゃ有りません!」との、力強いコメント。
無意識のうちに頷き、そんな自分に思わず苦笑してしまいました。
平成17年12月1日
下の娘が小学校から帰ってくるなり、
「ねー、白いジダンが危ないから駄目だって」
「白いジダン?」「うん、そうだよ!」
(何だ?白いジダンって・・・・はげのジダンなら知っているけど・・・・・)
すると家内が「白いセダンでしょ」 「そうそう」と娘
幼児誘拐殺人が日本に暗い影を落としている中、不審者が地元春日部にも多く
出没しているようです。
近隣で小学生が、その白いセダンに無理やり乗せられそうになったとか。
その為、娘の学校でも集団下校になったとの事。
幼い子供を持つ多くの親や保護者が、安心して子供を送り出させる、
そんな、当たり前の社会になりたいものです。
子供は人類の未来であり、夢ですから。
平成17年10月6日
駅の近くの100円パーキングに駐車し、電車で都内に用足しに出かけました。
5時間前後で戻り、支払いの為、自動精算機に向かいました。
「えーと私の駐車番号は”6番”か」と言う事で精算機のボタンの”6”を押し
駐車料金の500円を入れました。と、同時にウイーンとストッパーが下がる音がしました。
車に乗り込もうとすると  「あれ?」ストッパーが下りていません。
「どー言う事 故障?」でも確かに、さっき音がしてたしな。
「も、もしかして」もう一度駐車場の番号を確かめると、両隣が”8”と”10”
「という事は、私の番号は9番?」
確かに本当の6番のストッパーは降りています。
「どーしよう。他人の料金を支払ちゃったよ」でも後の祭り。
あのー、6番に駐車した方、5時間分の料金を支払ったのは、私ですから!!!
平成17年9月20日
テレビのCMで”ギブミー ア ブレイク”(勘弁してよ)というCMが最近よく流れます。
子供達が家内のちょっとしたミスに”ギブミー ア ブレイク”を早速使いました。
「何?それ。 チョコレート頂戴?ってこと」
「え?」子供たちも面食らっています。
そこで私の登場「それって、”ギブミー  チョコレート”でしょ。終戦直後、アメリカの
駐留軍から、子供達がチョコレート貰う時に使ってた言葉だよ」
「全然違うよママ」  アハハハハー 家族でも大笑い
なんせ、家内は"made in china"を”メイド イン チナ”と最近まで読んでいた
実力の持ち主ですから。 
平成17年8月27日
アメリカに近づいてるハリケーン”カトリーナ”が、かつて無いほどの巨大な規模で
近づいていると連日ニュースで流れています。何と最大風速が70mとか・・・・
そこで家内に「ねー、今度のハリケーンの最大風速知ってる?」と、尋ねると
うっとうしい様な「えー」と言う返事が返ってきました。
「だから、知ってる?」
「200m!」  「・・・・・・・・」
どこまでも、勝気な家内です。
平成17年7月16日
今年も宝くじのCMが元気に流れ始めました。
何と前後賞合わせて3億円! 1等と2等を合わせて42本が当るとか。
心は既に前後賞当選に跳んでいます。
「えーと、まずはバブルに買った住宅ローン35年の残りを完済。これはまず第一だな」
「次は、やはり旅行でしょ。それも家族皆で豪華客船世界一周旅行」
「何といても、2億使っても1億余るんだから、3ヶ月くらい店を休んだってヘイチャラだし」
「そうそう、最近疲れがなかなか抜けないから、定休日は週2回。これも決まり」
「店が暇だって、何にも気にする事はないし、精神的にも楽でいいしな」
「でも・・・・・3億円はむしが良すぎるか。あんまり欲を掻くと罰が当るって言うし・・・・
ここはぐっと抑えて1千万円で手を打ってもいいか」
「そうすると、ローンの返済は後回しにして、やっぱり家族でハワイ! そう常夏のハワイは
行かなくちゃ」「オーシャンビュウのスウィートルームで10日間。毎日ご馳走を食べて
女性陣はショッピング。こんな時は男の器量を見せていちいち文句は言わない」
「いあやー、やはりパパは凄い!」何て言わせちゃう(ひひひ・・・・)
「とは言っても・・・・・現実にはそんなの当たらないし、せいぜい100万円位にするか」    
「それでも夢はまだまだ買える。  そうそう銀座の雑誌に出ている高級すし店!
店のカウンターに座って、子供たちに好きな物を、お金を気にしないで注文してあげる」
「子供たちは、お皿が回ってない事に、初めは躊躇しながら、口に入れるだけで融けて
しまいそうなオオトロに衝撃を受けちゃう。 次に、子供たちの父親を見る目は、羨望へと変わり
その心持を、じっくりと私の胸で受け止める。(ニンマリ)」
「そして私も、今まで味わった事の無い、口に広がる
甘ーいウニや海老、それと・・・・まあとにかく美味しいお寿司を頂く事にする。」
「でも・・・・100万円だって、そんなに簡単には当らないか。(100万円の当たりくじが
有るのかすら、私は知りません)」「ここは、ぐっと譲歩して1万円でもいいか」
「まー無いよりはまし。道歩いて1万円拾ったら、そりゃ狂喜乱舞でしょ。そう思えば良いんだ」
「1万円・・・・・うーん。  1万円ね。ちょっとした夕飯でも食べに行きますか」

ジャンボ宝くじが売り出されるたびに、一瞬でも夢を見させて貰っています。
それも買わずに・・・・・・・・
平成17年7月14日
上の娘の夏休みの予定表なる物が、無造作にテーブルの上に置いてありました。
見ると、夏休みの目標が三つ掲げられています。
 なになに・・・・・・
1、計画的に勉強する・・・・・・・なるほど、なかなか難しいけどなー(経験者)
2、家のお手伝いをする・・・・・・確かに、手伝いくらいしてもらわないとなー
3、よく寝る・・・・・・・・・・・・・・・ね、寝るー???? それって目標?
 とにかくこの娘、目標など立てなくても、家の中で一番寝ていますから。
平成17年6月25日
カウンターに座った20代の男性2人連れのお客様が・・・・・・・
「これって、ヤバクナイ?」 (ドキ!なんか変なの出しちゃったかな)
連れの男性も
「マジ、やばいよ」  (何なのー、一人だけでなく二人とも・・・?)
でも、二人の若者の表情は満足げ
再び「かなり、やばいよ」 
そう言いながらも、二人の口元に笑みがこぼれています。
こ、これってもしかして・・・・・・・褒め言葉?
会計の時も「ご馳走様!」と、にこやかに帰っていかれたお二人。
「やばい!」って「美味しい!」と言う意味でとって良いんでしょうか?
言葉も時代と共に変化して行くようですね。
そう言えば、「頭が切れる」は、今では逆に、褒め言葉では無くなってしまった様な・・・・・
平成17年6月15日
テレビを見ていると中村獅童が車のCMに出てきました。
思わず、「いいよなー中村獅童、あんな美人の人と結婚できるなんて・・・・」と
ため息混じりに、言葉が漏れました。
すると、隣に座っていた家内が、せんべいを食べる手を止め
「あれ?パパは確か、世界で一番いい女を手に入れたんじゃなかったっけ?」
「あ!」   
「あ!、じゃ無いでしょ」  
「・・・・・・」  
「確か私にそー言ったよね」
「だよね」
「でしょ」
「・・・・・・はい」
勝ち誇ったように、先ほどのせんべの残りをほうばる家内でした。
平成17年2月3日
定休日に八幡様で豆まきが有りました。
午後の4時過ぎ、二人の娘が学校から帰って来るのを待って、いざ八幡様へ。
2月の寒さにも拘らず、境内は多くの老若男女で埋め尽くされていました。
さて、いよいよお目当ての豆まき。
一回目の豆まきも終わり、本日のメインエベントお菓子まきです。
周りを見るとスーパーのビニール袋を持っている人が、数多く見うけられます。
私達はというと、初めてという事もあり手ぶらです。
緊張が高まる中、「ドン、ドン、ドン・・・・・・・」と合図の太鼓が鳴り響きました。
それと同時に大小のお菓子が降り注いできます。
我を忘れ、一つでも多くのお菓子をゲットしようと、手を目いっぱい広げ
飛びつきます。気が付くと両手に持ちきれない程のお菓子を握り締めていました。
「っあ!」子供たちは・・・・・・?上の娘は何も持たず目の前に立ちすくんでいます。
何と一つも取れていません。「何で取らないの!」怒りすら覚えて語気が強くなりました。
あれ?下の娘がいません。「どこ行った?」長女は首を振ります。
額から冷たい汗がツーっと一筋・・・・   と、その時「パパ!」
人を掻き分け、得意げな顔で現れました。その手には大きなビニールに、こぼれんばかりの
戦利品を入れ、私の前に高々と掲げました。
「どこ行ってたの?」「背が小さいから前に行って取ってきた!」
「そのビニール袋はどうしたの?」「隣のおばさんがくれた!」「・・・・・・・・・」「すごい?」
「凄すぎだよ」「ヘヘヘ・・・」鼻を大きく膨らませています。
「さーパパ、2回目が始まるよ。これ持ってて」その袋を無理やり私に押し付け、人ごみを
掻き分け、あっという間に姿を消しました。
「ドン、ドン、ドン」再び太鼓の音が鳴り響きました。
人々のどよめきと、甲高い声が交じり合って異様な雰囲気が境内を包みます。
多くのお菓子が空を舞うと、取り付かれた様に私も飛びつきます。
そして再び我に返ると、長女はやはり手ぶらで立っているだけ。
「世の中に出て、この娘はやって行けるのか?」親として一抹の不安を抱いていると
「パパー!!」と下の娘が、またまた大きなビニール袋を抱えやって来ました。
「ど・どーしたの?その袋」「また、もらった!」「えー!また貰ったの?」「うん!」
「パパ凄い?」「凄すぎるよ!」
「この子だったら、一人で生きていける」と、頼もしくもほっとした瞬間でした。
でも、どうして同じ姉妹でこんなにも違うのでしょうか?
平成17年1月17日
本日の読売新聞”兵庫県1.17宣言”より

1月17日を忘れない
   突然目の前が真っ暗になり
     あちこちで真っ赤な炎があがっていた
    叫び声が聞こえ
       サイレンが鳴り響いていた
   多くの人が貴い家族を失った

   わたしたちは過信していた
  科学技術を、近代都市を
    わたしたちは忘れていた
  共に生きていることを
        支えあうことの大切さを
    皮肉にもそれを教えてくれたのが
       あの震災だった

  頼るべき家族が倒れ
      自らも尽きようとした時
  手を差し伸べてくれたのは
     地域の人やボランティアの人々だった
     手に持てるだけの物を持って
          彼らは助けに来てくれた

   組織の思いでなく一人ひとりが
      自分の思いで助け合った
         子供たちも自分の意思を持って
    自分の責任で行動し、家族を支えていた
   あのときのひたむきな人々の表情
      人間のつながりの貴さを
    わたしたちは決して忘れないだろう

   あの日
  海がさわぎ、山がないた
      わたしたちが愛した風景
  育ってきた環境は
     一瞬で姿を変えた
        しかし共に困難を乗り越え
   10年にわたる復興を通して
      この地に対する愛情は
   より一層深まった

     震災から学んだ教訓はあまりにも大きい
   個人個人が持つ命あるものへの思い
      わたしたちはかけがえの無いものを代償に
   身を持って痛感することができた
  この思いを、その貴さを
     地球上の人々に伝えなければならない

   だから1月17日は忘れない

   2005年1月17日
   1.17人類の安全と共生を考える兵庫県会議

私の心にも深く刻み込まれた1.17でした。
平成16年12月6日
今時の若者のファッションには(歳をとったせいか)いささか首を、かしげたくなります。
特に男子学生のずり落ちたズボンのはき方には、どうしても”だらしない”としか感じません。
そこで、バイトの女子高生に「あのずり落ちたようなズボンのはき方どう思う?」と
聞いて見ると・・・・・・
「私もなんか好きにはなれないですね」と意外な答えが
「だよね!だよね!」
「でも・・・・・」
「でも?」
「ズボンを上まで目いっぱい上げて、パツパツにはいてるよりは良いですけど」
「・・・・・・・・・」
って、言うんじゃなーい

それって         

” それって 私ですから 残念! 

 ファッションに、ついて行けない中年男斬り!”
平成16年11月30日
テレビをつけるとヨン様ヨン様。 日本の俳優はいずこに?状態です。
そんな中、家内と言えば今回は冷ややかな目でテレビを見ていました。 いえ、その筈でした。
日曜日のある日の事・・・・・・・
午後の仕込みの時間になったので「さーてと、パパ仕事に行ってくるね」と家内と二人の愛娘に
私が仕事に行く、意思表示を示しました。
娘たちは「うん」と視線はテレビに釘付けになりながらも、何とか返事が返ってきました。
家内といえば繰り返されるヨン様の報道に、瞬きもせず見入ってます。
「ママ!行ってくるよ」「・・・・・・」「ママ?」「・・・・・・・」反応が有りません。
こちらも意地になって「あのね、亭主が仕事行くんだけど!」
「ちょっと待って!!今ヨン様が話しているのに、き・こ・え・な・い
「・・・・・・・・」
こんなところですか・・・
平成16年11月8日
このところ、暗いニュースばかり。そんな中、新潟中越地震に民放のテレビ局がドラえもん基金の
(電話を掛けるだけで、100円の義援金が震災の方々に届くとか)協力をうったえる放送を流しました。私は郵便局へ義援金を持って行かない自分の後ろめたさも手伝って、直ぐに電話を掛けました。 すると・・・・・何度掛けても話し中。人間の冷淡さばかり目立つこの時代に、こんなにも多くの人が電話を掛けているのか、と思うと心がとても暖かくなりました。
”日本も、まだまだ捨てた物ではないなー”と勇気付けられた一日でした。
さて、また電話してみますか。
平成16年10月20日
そう言えば・・・・・・・・・・・・
アザラシの玉ちゃんって、どうしたんでしょ?
カツを揚げながらふっと脳裏をかすめました。
平成16年9月19日
今日は下の娘(小5)の運動会。
後半も過ぎた100m徒競走の事です。娘の今までの成績は決して褒められたものではなく、
と言うよりはビリを辛うじて免れてきた実績の持ち主。
「今日も何とかビリになりませんように」と祈る中、家内が「うちの子何番目に走るか見てきて」と、
指令が出ました。慌てて入場門まで行くと既に娘は運動場に入場した後。
目を凝らしても発見できず、仕方なく家内の待つカメラスポットのゴールに行くと、
それと同時にスタートのピストルが遠くで鳴りました。
娘の順番は例年早く、家内も遠くから走ってくる子供の中から、何とかわが子を捉えようと
ビデオをまわしています。私の気配を感じた家内は「パパ何番だか分かった?」と尋ねます。
「分からない。とにかく、ビデオをまわし続けなよ」「うん!そうだよね」と家内。しかし・・・・・
4,5組走り終わっても、未だに娘は現れません。
家内の不安が募たのか「まだかねー」とビデオをのぞきながら、聞いてきました。
「遅いよねー」と私、・・・・とその時
「い、いたー!!!」と家内の甲高い声が。
私も必死に家内のビデオの向いてる先を見ると、1番の旗の前にちょこんと座っていました。
「っえっ!一等賞?」と我が目を疑い現実を把握する迄に暫く時間がかかりました。
すると家内は「毎年4,5着なのに、まさか先頭を走っているなんて・・・・・・・」と
悲鳴にも似た声で訴えます。(後ろの子ばかりを主に撮っていたそうで)
私も「しょうがないよ」と答えたものの ”私が撮って無くてよかった。”と、
思わず胸を撫で下ろしました。(立場が逆だたら、と思うとぞっとします。)
記念すべき我が娘の初めての一等賞をこの目で見ることも、ビデオに収める事も出来ずじまい。
後でそのことを知った娘は落胆の色を隠せず、私たち夫婦も反省しきりの1日でした。
でも、唯一助けられたのは、おばあちゃんがしっかり見ていたそうです。
良かったね! そして一等賞おめでとう! 
平成16年8月18日
毎年恒例の”夏休み家族旅行”の中日(なかび)
子供達も寝静まって、テレビの前でオリンピック中継を見ていました。
11時30分を少し回った頃です。女子柔道72kg級で阿武教子が決勝戦で、
中国の選手を破った瞬間、我を忘れて、思わず大きな拍手をしました。
その時です、左手の薬指の第2間接に異様な痛みが走りました。
見ると、若干腫れていて、しびれも感じます。
「あれ?海水浴をした時、クラゲにでも刺されたかな」と思いながら、再び指を見ていると
気のせいか、次第に腫れが大きくなってきている様子です。
隣に居た家内に「ねー、何か指が腫れているんだけど」と、その腫れた指を立てて見せると
「あれー、どうしたの!」思った以上の反応が返ってきました。
「今、拍手したら手の痛いのに気づいて、見たらこんなに腫れてるんだ」
「これは何か変な虫か、クラゲかヒトデにでも刺されたんじゃない?」
「とにかく医者に行かないと」「は?」「だから医者」「何で」
当初の予定は、家内「ねエー大丈夫?」 私「この位大丈夫に決まってるでしょ」  
家内「流石パパ!男らしい」のつもりでした。      ところが・・・・・・・・
「当然でしょ!だって休み明けの予約出来なかったらどうするの」「この位だったら大丈夫だよ」
「あのね、良く考えて。あなたの代わりは、誰もいないでしょ」「だけどさー」
「このまま、どんどん腕まで腫れて、予約のお客様に迷惑掛けることになったらどうするの!」
「とにかく、私の言うこと聞いて」と、かなりの口調で捲くし立てます。
「早くフロントに連絡とって、病院紹介してもらわないと」 何と、些細な事が雪だるま式に
大きくなって、自分の力ではどうにも止まらなくなって来ました。
「ちょっと待ってよ。こんな時間病院に行って『こんな事でわざわざ来るなよ』なんて言われたら
かっこ悪いよ」「何でもなかったら、それで良いじゃない。とにかく支度して」
話がどんどん先に進むばかりで、もうどうにも止まりません。
私は、これから行くお医者さんの冷たい視線を浴びる覚悟を決め、浴衣を脱いでズボンに
履き替えました。無論家内も子供を母に見てもらい、私に同伴して行く気充分です。
12時、救急病院に着くと「うーん、強く拍手して血管が切れて、内出血したんでしょ」
「朝になると、青アザになると思いますよ」と あっさり診断が下りました。
病院の帰り道
「だから、ヤダッて言ったんだよ」「そんな事無いでしょ、大きな病気じゃ無かった事が
分かっただけでも良かったでしょ」「・・・・・・・・でもさ」「良かったの」「・・・・・・・・」
とにかく、皆さんも興奮し過ぎて、内出血しないようご用心下さい。
オリンピックの応援も程々に。
平成16年7月15日
庭の奥にある”つくばい”の端にナメクジを見つけました。
下の娘に伝えると、「塩を掛けると、ナメクジは本当に縮んで無くなってしまうの?」と
聞くが早いか、早速実験を実行に移しました。
上から恐々と、一つまみの塩を掛けます。「そんな少しじゃ駄目だよ。もっといっぱい掛けなくちゃ」
と私の指示に従い、更にもう一つまみ。「わー、縮んでく」かがみ込んで顔を近づけます。
「なんか、苦しそうで可愛そうだね」「そうだね」「でも、思ったより小さくならないね」等と感想を
言っているうち、ナメクジの動きも止まりました。「もう死んだのかな?」「かもね」「ふーん」
そして翌日。午後3時を少し回った頃、突然黒い雲が沸いてきたかと思うと、
地響きのような雷。それと同時に大粒の雨が音を立てて振ってきました。
 やがて、通り雨もやみ、昨日の庭先のナメクジを見に行くと・・・・・・いました。
山のように掛けた塩はすっかり洗い流され、そのナメクジは元の大きさに戻っていました。
娘に告げると、息を切って見に来ました。「あれ、元に戻ってる!ねー生き返ったのかな?」
「そんなこと無いでしょ、インスタント食品じゃ有るまいし水を掛けて戻るなんて事」「だよね」

でも皆さん、本当にそんなこと無いですよね、塩で縮んだナメクジが雨で戻るなんて・・・・・ね?
平成16年6月12日
今日は私の50歳の誕生日
学生時代まさか自分が50歳になるとは想像も出来ませんでしたが、
現実その歳になってしまいました。
50歳になれば、既に完成された大人になっていると、あの頃は思っていましたが、
25歳で店を始めた頃の自分と、精神面では何も変わらない様に思えます。
しかし、身体的な変化は確かに現れています。
1、お客様から注文を伺って、振り返ったとたん「あれ・・・?」と忘れてしまう。
(開店当時、満席のお客様の注文が全て頭に入っていたのに)
2、立ち上がるとき「よいしょ!」だけでなく「こらしょ!」が加わった。
3、子供と駆けっこする時、足がつる恐怖が頭をよぎり、全速力で走れなくなった。
4、芸能人の若い人達がみんな同じ顔に見える。(かつて父が分からなかった様に)
 ところでモームスの加護ちゃんと辻ちゃんの違い分かります?
5、20年以上前の話が、つい最近の事と思ってしまう。
6、白髪が急に目立ち始め、視力もそ加速度的に悪くなってきた。
7、そしてもう一つ・・・・エーっと・・・・・忘れたようです。
やはりハード面での老いは、一歩一歩進行中のようです。
しかし、ソフト面(精神面)特に好奇心に至っては益々旺盛、今の若いもんには負けません。
(ん?  どこかで聞いた台詞)
しかし、今は自分の歳を気にしている余裕が無いのは確かです。
まだまだ頑張らなくては!(とほほっ・・・・)
平成16年5月23日
唐突ですが、私は嫌いな食べ物は殆どありません。
しかし、生まれつきという訳でなかったのです。
人が美味しそうに食べているのを見ると
食わず嫌い(苦手意識)を克服しようという気持ちが働くからだと思います。
そのお陰で今では、苦手だった西瓜も、フキノトウも、柿も、納豆も美味しく
食べる事が出来る様になりました。
そして・・・・・・・・
最近、その克服精神が頭をもたげる事件?が起きました。
それは、今人気沸騰のドラマ「冬のソナタ」です。(食べ物では有りませんが)
仕事の関係で、なかなか観る機会が無いドラマ。ましてや、男女の入り組んだ
恋愛ドラマとなると、”全く女心が分からない”(家内曰く)私としては
輪を掛けて苦手ときています。
しかし、今回は違っていました。
多くの人があんなにも熱中するのには、余程面白いに違いない。
これは是非見なければと、ついに私も”冬のソナタ”に挑戦する事にしました。
初めは、このドラマの何処がいいのかねー、台詞もクサイシ、
バックで流れる音楽も「これでもか!」と思わせるようなムード音楽だし・・・・・
そして、そのストーリーは・・・・・・・
好きな人の突然の死。 よくあるパターン。 
彼の面影を忘れる事が出来ないまま10年の歳月が流れ、幼馴染の好青年と婚約。
ところが、その年の初雪の日に、何と死んだ彼と瓜二つの男性が現れる・・・・
そんなこと有るのか普通?
などと文句を言いながら回数を重ねていくうち、彼女の頬をつたう涙に心を揺さぶられ
バックに流れる音楽に、いつの間にか私の胸は締つけられていました。
ドラマのエンディングでは、ムードたっぷりの音楽に乗って、その日の印象に残るシーンが
ストップモーションに、 それがセピア色に変わっていく演出には、もうノックアウト!
今では、毎週土曜日の11時が待ち遠しくなっています。
(因みに大河ドラマの「新撰組」の視聴率を抜いたとか・・・)
これで「冬ソナ」も克服した私です。
平成16年5月6日
当店駐車場の奥が水はけが悪いため、少しの雨でも水溜りが出来てしまいます。
これから五月雨の季節、水溜りの事を考えると少々気が重くなります。

そこで一句

五月雨を  集めてはやくも  水浸し  (字余り)

お粗末でした   (一茶さん すいません・・・・・・・ん?芭蕉さんでした。f(^^;) )
平成16年4月1日
春休みという事で子供を連れ、上野の山の国立西洋美術館へ足を運びました。
美術館に着くや、下の娘が(小5)「あー、パパ”地獄の門”があるよ」と指を指しました。
美術館の広いエントランスに彫刻が飾ってある、その一つに、娘は振り向きもせず
走って行きました。 私と上の娘も後を追いかけます。
下の娘は更に続けて「ねーパパ、これ”地獄の門”って言うんでしょ?」
「え?(^ ^;) そ、っそーだよ」 あせって彫刻の前の説明に目を走らせます。
「やっぱりそうなんだ」   私も娘に負けじと「こ、っこれはロダンの作なんだよ」と
たった今仕入れた知識を、さりげなく告げます。
「へー、ロダンと言う人が作ったの?」  「う、うん・・・そうだ」 
更にダメ押し攻撃が襲ってきます。
その門の一番上にある彫刻を指差し「あれが”考える人”でしょ。
あれを一つだけ大きくしたのが有名な”考える人”になったんだよね」
げっ そうなの? しかし、ここで父親として、知らない事実を悟られては断じてなりません。
「よく知っているね」「うん!だって”トレビヤの泉”でやっていたもん」
何だ!そうだったのか。 まさか、こんな所で冷や汗をかこうとは。
この日、何とか父親の威厳を損なうことなく帰宅することが出来ました。
しかし、娘の思わぬ成長を頼もしくも思った1日でもありました。
平成16年4月1日 美術館パート2
美術館の入場券を買うために、窓口に行くと、何と小学生は無料という文字が目に入りました。
上の娘は小学校を3月に卒業したばかり、でも中学校にもまだ入学はしていないし、という事は
中学生でもないし、かといって小学生でもない、はて?これはどうしたものか。
その時、ふっと私がまだ幼いころの記憶が頭をよぎりました。
あれは確か、私が小学校1,2年生の頃・・・・・・・
高校卒業まで住んでいた、荒川区の自宅の直ぐ脇に、都電(現在の荒川線)が
通っていました。
その都電に乗る時、私に母はいつも「いい、歳を聞かれたら何て言うんだっけ?」
「幼稚園に行ってます。でしょ」「そう、聞かれたらちゃんと言うのよ」「うん、大丈夫!」
とうに、幼稚園を卒園して、小学生になっていた私にとって、それはいささか抵抗のある
言葉でした。
日ごろは、嘘を付いた時「何で嘘つくの!嘘は泥棒の始まりでしょ、あんたは泥棒に
なりたいの!!」と厳しく教えられていた筈なのに。  どうして?
大人になると、私もこの様に自分勝手になるのかなー・・・・・と思いながら・・・・
ふっと我に返り、入場券売り場の女性に「あのー」と声を掛けました。
「はい、いらしゃいませ」「この子なんですが・・・・・」長女の肩に手を当てました。
「はい?」「実は、4,5日前に小学校を卒業したので、小学生ではないんですが」
「あ、はい」「でも中学校もまだ入学もしてないんですけれど、この場合料金はどうなるんですか」
幼児体験の反動からか、必要以上に正直になっている自分を、
もう一人の自分が見つめています。
当の娘達といえば、事の成り行きを、身を乗りだして見守っています。
「はい、小学生は無料です」彼女のさりげない一言が帰ってきました。
「じゃー、小学生2人と大人一人お願いします」この時、自分の気持ちがとても軽くなった
気がしました。
「では1300円になります」支払いを済ませた私は
「ありがとうございます」という言葉が、思わず出てしまいました。
美術館に入る前から、心に爽やかな風が吹いたそんな一日でした。
平成16年3月10日
カウンターに座ったお客様が
「このお店、本に載ってるね」と座るが早いか尋ねて来ました。
「あ、ハイ 何冊かの本に紹介されています」実際、昨年にも6,7冊の書籍に紹介されました
「すし屋の本にも出てたね」
「はい?  おすし屋さんの本にですか」
「直ぐそこの本屋さんで買ってきた本に、この店が出てたよ」
「そーですか。 何という本ですか?」 
「題名は忘れたけど、世田谷の”あら輝”っていう店知ってる?」
「あーっ ハイ!あら輝さんの本が出たのですか?」
「そう、知らなかったの」「は、はい」
あら輝さんの紹介で昨年”週間現代”に掲載された経緯があります
そのあら輝さんの本の中で、今回も当店を紹介して頂いたようです。
ある日の事、平日のお昼にサービスで出るババロアを2,3口召し上がっただけで
帰られた若い女性のお客様がいました
たまたま居合わせていたあら輝さんが「こんな美味しい物をどうして残すのかなー
勿体ないよねー」と日頃無口な方が、目を見開いて言っていた事があり
それが大変印象に残っていました。
この時、あら輝さんがその道で有名な人とは全く知らなかったのですが、
この方もきっと仕事に情熱を持ってやられているんだなーと感じました。
そして、お客として来店しても作り手の気持ちが痛いほど解る”あら輝さん”のお寿司を
いつか食べてみたいと思っていましたが、今は予約の最も取れない店になっているそうです
その仕事ぶりを、余すところ無く存分にレポートしている 著者 浅妻千映子 ”江戸前「握り」”
(光文社新書)お時間がありましたら、一読をお勧めいたします。