店主の独り言


平成15年度版)
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平成15年12月23日
今、店の一部の内装と、エントランス(塀と門)の工事を急ピッチで進めている真っ最中。
定休日には職人さんが10人前後みえ、年内完成を目指して頑張ってくれています。
日に日に出来上がっていくのを見ているのが楽しいのですが、営業は通常通り。
その為か、家内共々、少々バテ気味になっていました。
そんな年も押し迫った晩の事、いつもの様に仕事を終え鼻歌混じりで、お風呂に浸かって
いると「ねーパパ救急車呼んで」と、いつに無く、かぼそい声で呼びに来ました。
「どうしたの」と振り返ると、ティシュで鼻を押さえ、もう片方の手には、真っ赤に染まっている
ティシュの塊を握り締めています。
「鼻血が止まらないの。もう20分間も出っ放し・・・・・・」  「分かった。今呼ぶ」
バスタオルを巻き部屋に戻ると、テーブルの上にも赤く染まったティシューの山が、うず高く
積まれていました。家内は再び崩れるように椅子に掛け、下を向いて鼻を強く抑えています。
すると、目から赤い涙がスーッとこぼれて来ました。「め、目から血が出てるよ」
一瞬、私も何が起こったのか分からず、でも只事で出ないことは容易に理解できました。
119番を掛ける手が、小刻みに震えているようです。
「ハイこちら119番です。火事ですか?救急車ですか?」と冷静な・・というか事務的な声で
問いかけられます。「救急車をお願いします」「どうされました」「家内が鼻血を出しまして、
かれこれ20分以上経つんですが、まだ血が止まらないんですが」「鼻血は今回が
初めてですか?」「いえ、ここ2,3日出ていたんですけれど、直ぐに止まっていたそうです」
「では、止血の方法はご存知ですか?」「はい」「えーと、鼻の根元の所を強く摘んでいますか」
「ハイ摘んでいます」「まだ、止まらずに出ていますか?」「ハイ、まだ止まっていません」
「分かりました、では住所は・・・・、ではこれから直ぐに向かいます」
それから、まもなく救急車は駆けつけたものの、行く病院がなかなか決まららず
その間20分、相変わらず目からの出血は止まらず、やっとの事で大学病院へと
向かいました。
幸い、止血しただけでその日のうちに帰宅することが出来ました。
考えれば、前日も1、2時間の睡眠時間、いくら元気が売り物の家内でも生身の人間?
無理がきかなくなる歳になったのでしょうか。
「ママ、あまり無理しないでね」自分の為にも、そして家族の為にもね。
後日、病院通いと休息の為、家内はしばらく店を休む事になりました。ご心配をお掛けして
大変申し訳ございません。この様な事情の為、どうかご了承下さい。
平成15年12月10日
市場へ行った時です
いつもの順番で仕入れを済ませ、車に戻ってくると、荷がまだ積まれていません
市場の仕入れは荷が多い場合、仕入先の店が車まで運んでくれる、仕組みになっています
その為には、駐車場に書いてある番号と、車のナンバーの2種類の数字を店に言っておきます
10分、15分まだ来ません。「何やってんのかなー、せっかく早起きして来たって意味無いよなー」
その時、ある思いが頭を過ぎりました。「あれ?そういえば駐車場の番号・・・・・・・」
車から降りて番号を確認しました 「や、やば」265番を625番と告げていたのです
今までの怒りが一気に恐縮に変わり、2軒の店に走っていきました
「す、すいません!番号を間違えて言ったみたいで」「そーでしょ、何度も配達の奴がナイナイって
戻ってきてさー」顔は笑顔を作っているものの、こめかみが引きつっているのが分かります
もう一軒は「とんかつ一幸さんは、今日は違うところに停めたのかっと思ったら、
無いからもしかしてと、いつもの場所に言ったら在ったから、今置いてきたよ」と
こちらも笑顔で応対されました
それからというもの、駐車場の番号は指で指して確認しています
ご迷惑を、お掛けしました。
平成15年12月3日
「おー立派な松茸だねー」と常連のお客様の第一声
アッチャー お客様の声に又、片付け忘れた事に気付かされます
毎年、秋になると松茸のオブジェを店に飾るのですが、つい片付け忘れて
12月になってしまいます
「この松茸は作り物なんです すいませんもう時期は過ぎているのに、つい片付けるのを
忘れてしまって。 もう12月ですね」
「そーか、そうだよね もう幾らなんでも松茸の旬は過ぎてるよねー」
「でも、これ作り物なの、よく出来ているねー」
「はい、何でもティシューで作ってあるそうなんですが」「へー、ティッシュねー」
と、松茸でお客様と会話が弾むのですが・・・・
すいません、今日こそは松茸を片付けます
平成15年11月15日
子供が学校から帰ってくるなり、上の娘が妹に「今日何位だった?」と尋ねます
今日は恒例の持久走大会の日です
「55位だよ」と下の娘が答えると 「ヘヘヘ 私の勝ちだね」と姉が口元に笑みを
浮かべました 「何位だったの?」と下の娘が聞き返すと
「53位」     私「・・・・・・・・」     レベルが低すぎます 
家内に聞くと上の娘の学年は風邪で5,6人欠席者で さらに、娘の後ろから走っていた子
は10人前後とか、ということは欠席者がいなければ・・・・・
とにかく、順位を争うレベルでない無いことは確かです
平成15年11月4日
「見てきたよ!小泉さん」と母が興奮気味に店に入って来ました
この度の選挙で小泉総理が春日部駅に来たのです
父が元気な時は、サラリーマンの妻と言う事で父に追随する様に社会党(現社民党)を
応援していた母も、小泉さんの魅力にノックアウトされたようでした
「運が良かったよー、私の前で小泉さんが帰りの車に乗ったんだから」と続きます
「それに雨の中、傘もささずに演説して感心だねー。とにかく、一生懸命が良かった」
政策という言葉は、最後まで聞くことは出来ませんでしたが
いまだに、興奮冷め遣ら無い様子
因みに、当店の2名の女性アルバイトも見に行ったそうです
やはり小泉総理の女性人気は本当の様です
しかし、それがイコール票に結びつくかは、開票まで待たないと分かりませが・・・・
そこが女性の摩訶不思議なところであり、怖いところです(いや、失礼)
平成15年9月25日
朝の仕込みのをしていると、家内がいつもの様に店の掃除に下りて来ました
しかし、今日はいつもとチョット違っています。下りて来るなり「おはよう!」の言葉の替わりに
「どう?この眉毛」と切出しました
「・・・・っえ、いんじゃないの」「だからもっとよく見て」
「うーん・・・・右は良いけど、左が上がりすぎてない?」「それから」
「色が髪の毛より黒く感じる」「へー それから・・・」
「まだ言うの?」「・・・・・・・・」「もう少し太い方が良いかな」
「あ・と・は・・・・」家内の細い目が更に細くなり、口元が冷たく笑っています
これは、私にとって大変危険度の高い信号なのです
「だってこれ以上は分からないよ」「そうじゃ無いでしょ」
「何が?」「結婚して10年以上経っているっていうのに、まだ全然女心が分かっていないのね」
「え?」「イヤー綺麗だ!それでいいでしょ。全く朝から気分が悪いったらありゃしない」
と言いながら、おもむろに掃除を始めました
「あのね・・・・・・」
朝の仕込みの忙しい時に、そんな事に時間を割いてはいられません
気分が悪いのは家内ではなく、私です。         ですよね!
平成15年9月17日
お客様に「お母さんは元気?」と今でも聞かれます
母は開業から約20年間、店の看板娘?として活躍していました
多くのお客様から「お母さん」と呼ばれ、母とのお話しを楽しみに来て頂いた方々も
少なくありません
現在は、忙しい時に手伝ってくれる程度になってしまいましたが
元気な母は今も健在です。77歳にしてメールを自在にこなし、一年前からは書道も始め
「他の見本」との評価まで頂くまでになりました。そのエネルギーはとどまる所を知らず
歳を思わせぬ腰の軽さで、売れっ子芸能人並みのハードスケジュールをこなしています。
そんなある日、「お母さん、19日の金曜日7時半から8時半の一時間でいいんだけど
手伝ってもらえるかなー」と聞くと・・・・・・・・・
「あれ!?19日・・・その日約束していたんだ」「そーっか、じゃーしょうがないな」
「どこ行くの?」「・・・・え?」「だから、どこ?」「・・・・・・シー」「え?C]「そーシー」「Cって、何」
「だから、デズニーシー」「ナンダ、煩わしい言い方しないでよー」  「ハハハハ・・・・・・」笑って
ごまかすのは母の常套手段。
それにしても「シー」じゃ解らないですよね。
という訳で、母はとても元気です。 \(^o^)/
平成15年9月1日
韓国で行われていたユニバーシヤード大会が閉会しました
連日、北朝鮮の応援に駆けつた美女軍団の動向をテレビが過熱気味に報道し
その度にテレビに釘付けになってしまいました
日頃、イケイケの金髪女性をテレビで見なれて居る日本男性にとっては(それとも
私だけでしょうか)黒髪の清楚な女性(のように演出されているかも)が新鮮で
つい見とれてしまいました
「韓国の男性もあの美女軍団に骨抜きにされたしまった様です」と或る報道番組でも
伝えていました。そんな彼女達も明日から見られなくなるのが少々寂しい気分です
それはそうと・・・・・・・・
ユニバシヤード大会の日本の結果はどうなったのでしょうか?
平成15年8月21日
両親と家族四人で大洗海岸へ二泊三日の海水浴へ行きました
父が寝たきりの為、車は昨年同様、リフト付きのワゴンを春日部市で貸りました
昨年のオンボロ車と違い、今年は何とカーナビ付きの新車に替わっていました
我家の経済状況ではカーナビは夢の又夢、それが目の前にあるではないですか
それも最新式の音声付き。「500m先の信号を右に曲がります」と優しい女性の声が
流れて来ます そして何度も親切に誘導してくれます 
「斜め右に曲がって下さい」という声に、「ハイ」と思わず答えてしまうような自然な声です
誤って直進しても、次のルートを案内してくれます それも決して責めたりしません
もし家内が案内役だと「今の所曲がるんじゃなかったの。又間違ったの」等と、責められっぱなし
私も負けずに「ちょっと!地図の見方も解らないの」と終いには楽しいドライブも険悪な状態に、
道案内は家内よりも・・・・・・という私の心の内を見透かしたかの様に家内は
「どんなにカーナビが優しくてもパパの洗濯はしくれないよ」と一言
「ウグ・・・・・・」     どうして、女性は咄嗟にそんな言葉が出てくるのでしょうか
平成15年8月14日
甲子園の野球も一巡し 我が、埼玉代表の聖望学園も一回戦を大差で突破!
その聖望学園は埼玉代表の決勝戦で春日部共栄高校に3対0で勝って
甲子園に出た経緯が有ります。その共栄高校は当店から車で7,8分走らせた所に有り
埼玉でも指折りの野球の名門校です(勿論その他のスポーツも盛んです)
当店の開店と共栄高校の開校が同じ年と言う事も有り、監督を始め多くの先生が
開校当初から食事にお見えになり、私自身も母校のような感覚で応援していました
そんな訳で聖望学園、春日部共栄高校の分まで頑張れ!!
平成15年7月18日
「あら、表彰状がいっぱい有るんですね」
レジカウンターの横に並んでいる四枚の楯を見て、お客様の一人に誉めて頂きました
大きな二枚の楯は当店が戴いたのに間違いないのですが、後の小さな二枚は娘が
書道で戴いた物です。 ある日、二人の娘が「ねーパパ、私達の書道でもらった楯もここに
飾ってもいい?」と頼まれ、親バカな私はつい首を縦に振ってしまいました
そして、時々お客様に誉められる度に「実は娘に頼まれて書道の楯も置いてあるんです」と
説明する羽目になった次第です
そういう訳で、小さい二枚の金賞の楯は当店には一切関係ありません
この場をお借りして、心よりお詫び申し上げます
平成15年7月1日
いつもの様にテレビにモームスが
それを見て家内が「あまりに若い女の子が背伸びして大人の女性に見せるのは無理があるわね」
と、ぽつり。私も「そーだよね、やはり女性の魅力は30才過ぎないと出て来ないよね」と同意
家内が30代後半である事は言うまでも有りません
すると家内が
「あら?その割にはさっきからテレビに釘付けになっているけど」 
「・・・・・・・・」又一本取られました
平成15年6月19日
先日ベッカムが来日。空港は多くの熱狂的な女性のファンが詰め掛けて大騒ぎと、テレビで大きく
報道されていました。それを見ながら、家内に「ねー、ベッカムってそんなに良い男なのかね」と
尋ねると「良い男でしょ」と一言「あれ程騒がれる程良い男とは思えないんだけどね」「・・・・・・・」
「美女は分かるんだけど、何処がそんなに良い男か分からないんだけれど」
「あのね、私意外の人にはそんな事言わない方がいいわよ、やっかみにしか聞こえないから」
と一蹴、やっぱり家内もベッカムにはぞっこんの様です。
平成15年6月12日
今日は私の誕生日。「お父さんの面倒を一生懸命看てくれているから、お礼にテレビを
プレゼントするね。今のテレビじゃ子供達が可哀想だし」と母からの申し出で
思いがけないプレゼントを頂く事に。今のテレビは上下に黒い帯が出て(勿論ワイド画面では
ありません)それが日を追って幅を利かせ、映し出される画面がより扁平になってくるのです。
あの無敵の叶姉妹や私が大ファンである藤原紀香の美脚さえも短足になってしまう程。
更に何とか映し出されている画面も、上の4分の1はチラチラした白い線が何本も入り
見にくい事この上ない状態でした。
見かねた母が父に聞き、口がきけない変わりに手を力強く握って賛成してくれたとの事。
待てば海路の日和あり・・・ですね
平成15年5月22日
数日前の深夜の事、ズズ・・と地響きの後からゆっくりと横に揺れ始めました
いつもの様にパソコンに向っていた私はすぐさま蛍光灯に目をやると、ユラユラ揺れています。
いつもより揺れが激しくなって来ます「これは大きいか?」と思っているうち
2人の娘も布団から飛び起きて来ました 幾分顔が青ざめています
「大丈夫だよ」との私の声の後から家内が「早く机の下にもぐって!」強い指示が家中に響きます
家内が指導権を握った瞬間です その声に素早く反応した二人は机の下に潜り込みます
依然揺れは止まらず、私も少々焦りが出て来ました
こんな時、家の長として「避難路の確保だ」と思った私は
すぐさま階段を降り玄関のドアを開けました
間もなくすると揺れも収まり、ほっとしながら戸締りをして二階に上がると
家内が「何処に行ってたの」「避難路確保で玄関のドアを開けていたんだけど」
「ナンダ一人で逃げ出したのかと思っちゃった」「そんな事するわけ無いでしょ」
何でいつもこうなんでしょうか 
平成15年5月10日
夕方に注文の電話が入りました
「明日の昼なんだけど注文大丈夫かな」「はい!ありがとうございます。ご注文は?」
「忙しいんじゃないの」「はい?」「だって一幸さん週刊現代の222ページに載っていたでしょ」
「え?」「今も忙しいんじゃない?」「いやーそんな事は無いですけど・・・・」 
そう言えば3週間前、お得意様である世田谷のおすし屋さんから
「大変申し訳ないですが、私の店からの紹介という事で、講談社にお話したんですが
宜しいでしょうか」という電話があり、、こちらも恐縮して「推薦して頂きありがとうございます」と
お礼を申しあげていたのです それから10日前後して講談社から確認の電話もあったのですが
まさか、もう出ていたとは知りませんでした。
家内が電話の後、早速コンビニで本を買って開いてみると(こういう時は何故か素早く行動します)
特別に教えます 有名料理人たちがこっそり通う おいしい店」と少々長めのタイトルがあり
その横には完全保存版と書いてありました 
何と他の料理人が選んだ店の殆どは銀座や赤坂、白金、麻布なのに
埼玉県からは当店の1軒だけでした
それが直接集客に繋がるかは分かりませんが(現時点ではありません)、
地道に積み重ねてきた事が評価され、とても嬉しく思うと同時に今まで以上に
味に対する責任も感じた一日でもありました

翌日、推薦してくださったおすし屋さん(あら輝様)から掲載された旨のご連絡まで頂き
本当にありがとうございました そしてこれからも宜しくお願い致します
平成15年5月1日
♪何でだろ〜♪何でだろ〜♪何で何でだろ〜♪
準備万端スタンバイしている日に限って店が暇なのは何でだろ〜♪
免許書の写真、毎回指名手配の犯人のように写真写りが悪いのは何でだろ〜♪
私の大好きなハーゲンダッツのアイスクリーム、カロリー表示が無いのは何でだろ〜♪
分かっているのに、体重計に乗る時、息を吐いてそっと乗るのは何でだろ〜♪
長電話中鉛筆を持つと、意味不明の図形を書いてしまうのは何でだろ〜♪
誰もが平和を望んでいるのに戦争が無くならないのは何でだろ〜♪
♪何でだろ〜♪何でだろ〜♪何で、何で、何でだろ〜♪
ジャ、ジャン!
平成15年3月30日
私も大好きな”千と千尋の神隠し”が長編アミメ部門でアカデミー賞を受賞しました。
我事の様に喜んでだ2、3日後の事、いつもの様に店でカツを揚げていると
ニュ−ス番組から「千と千尋に土砂崩れがあり・・・・・」と流れて来ました
何で”千と千尋”が土砂崩れに遭わなきゃ行けないんだと、思いながら手を止め
テレビに目をやると「西武、秩父線に土砂崩れ」と字幕が出ていました・・・・
なんだ だよな 聞き違えたのかと納得
そう言えば約1年前の事、やはりニュース番組で「日本対バイアグラ」と出ていました
個人輸入でバイアグラを使用して何人かの死亡事故が起きている時期でもあり
本腰入れて日本もバイアグラの使用を規制するのか・・・と思い
ニュースの声を聞くと「日本とパラグアイの試合は・・・」流れて来ました
パラグアイをバイアグラと読み違えた様です
やはり自覚はしていないのですが、身体がシグナルを送っているのでしょうか(ショック!)
平成15年3月23日
アメリカがイラクに対し軍事作戦を開始して初めての軍の会見が22日の夜遅くありました。
私も後片付けの手を休め、固唾を飲んで見守っていました。
軍の作戦最高司令官フランク氏の経過報告とそれに続き質疑応答に入りました。
その中に「軍事作戦が始まって今までに一番驚いた事は?」との質疑に
「部屋に帰ると妻からの結婚記念カードが届いていた事」とユーモアを交えた答えが返って
来ました。 なるほど、向こうの人は上手くかわすものだなーと変な所に感心して
聞いていたのですが・・・・・・・・・・・・・・・・
と、その時「っあ! ヤバイ! 」なんと私達の結婚記念日が過ぎていたのです。
私達の結婚記念日は3月10日、既に10日以上過ぎています。
勿論家内もウッカリしている事は間違い有りません。
父の介護、店、育児と1日を消化するのがやっとの日々。ついつい忘れてしまいました。
このまま、気づかれないよう黙っておきましょうか。それとも?
それよりも、戦争の早期解決が第一ですよね。
(後日そっと家内に聞くと「勿論知ってたわよ、来年も忘れたら爆発し様かと思ってた」と
クワバラクワバラ)
平成15年3月13日
「ねーパパ教えて」と3年生になる下の娘が国語の宿題を持ってくる
すると間髪入れず「パパは止したほうがいいよ」と上の娘
以前、上の娘が3年生の時やはり国語の宿題を見てあげたときの事
教えてあげた所がことごとく間違った痛い経験が有ったからです
そう言えばあれからというもの、上の娘はとんと国語の宿題を私に聞きにきません
下の娘からすれば、それでも鬼と変身する家内から教わる事から見れば
止むに止まれぬ究極の選択に思えたのでしょう
私としても、あの時の二の前は踏むまいと、力が入ります
「えーと、この詩を読んで次の記号から正しい物を選びなさい」「分かる?パパ」
「チャット待ってね、この詩は楽しい?別に楽しくは無いよね、悲しくも無いし」
「うーん、どれかな?  これは”ウ”だな」「大丈夫?パパ」「・・・・多分」
何問かやって答え合わせしてみると「レレレー?ま、間違っている」
「何で、この詩が楽しいの?ねー」と娘の顔を見ても視線を合わせません
これで、二人の娘から「国語の宿題をみて」と言われる事は皆無になった様です
(因みに、上の娘の時は主語と述語を見つける問題でした。) 情け無い
平成15年2月17日
家内が美容院から帰ってくるなり「ねー、この髪型どう思う?」と尋ねて来ました。
後ろから見るとワカメちゃんの様に短くざっくりとカットされ、前は今風の垂れ下がった
髪が真中から分かれ頬を半分隠したヘアーカットでした。
私がカットした時など、家内が見るなり「なに、その頭。かっぱ? ダサダサ〜」と
罵詈雑言を浴びせられるのが常なのです。
しかし、ここでいつもの仇を打つ事がどんなに愚かであるか、結婚生活12年で
充分思い知らされている私は、間を置かず(ここが大切なのですが)
「どんな髪型だってママは顔が良いから似合うよ」と答えます。
しかし、まだまだ修行が足りないのか、込み上げて来る笑いを堪え切れず
「ハハハハ・・・」と思わず笑い声が漏れてしまいました。
すると、家内も一緒に「ハハハハ」と笑い出しました。(ここが家内の憎めないところなんですが)
その笑いに救われ何ごとも無く時間がスーッと流れて行きました。
人間一生修行。まだまだ未熟な私です。
平成15年2月16日
北朝鮮の最高指導者の誕生日が盛大に行われたと、ニュースで繰り返し放映されました。
今から去る事46年前の今日、私の弟もこの世に生を受けました。
(早い話が誕生日が同じなのです)何か、ちょっと複雑な思い。
平成15年2月6日
「ねー、九九の四の段言ってみて」と下の娘が学校から帰ってくるなり、家内が娘の手をとって
尋ねました。(アチャー先を越された)
「4・1が4」「4・2が8」「4・3 12」「4・5・・・・・」そこで家内が割りこみます
「そうじゃ無いでしょ。資産運用(シサン・ウンヨウ)でしょ」
今流行りのCMです
「4・3ウンヨウ?」「そう」「何それ?」
CMでは「4・3 うんよう」としか答えられない子供を心配して先生が家庭訪問をする設定で
その両親から「おじいちゃん子で口癖が移ったんだと思います」で締めくくられるのですが
考えれば私の家庭では資産と言う単語もましてや運用などと言う言葉を使う事は皆無
そんな環境下にいる娘に資産運用など解かる筈もありません
やはりウチでは「4・3無いよー」でしょうか
平成15年2月3日
「ねーマジでこれ被るの?」
「今買いに行ったらこれしか無かったんだもん」
「だって、これドラえもんだよ」「うん」「幾ら何だって漫画だよ」
「じゃー、被らないでやる?」「・・・・・・・」「  でしょ」
今日は、節分。毎年私が鬼の役で家内と子供達が鬼退治で豆をまく役と決まっています
去年まで下の娘は鬼が父である事に半信半疑で怖がって豆をまいていましたが
今年は、さすがに鬼はパパと判ったようで「今年の鬼には思いっきり豆をぶつけるよー、パパ」
と含み笑いをしながら挑戦的な視線を向けて来ました
その娘の前でドラえもんのお面で出て行ったら、完全に父親の威厳が失速するのは
目に見えています
心の整理もつかないままタイムリミット。重い足を引きずり2階にドラえもんのお面を付けて出陣。
「鬼だぞー」「キャー!!鬼はー外!」「鬼はー外!」と声は例年並みので変わらない物の
お面の細かな穴からは子供のこらえ切れない笑顔が明らかに見て取れます
「あっれ?もう鬼行ちゃうよ」そんな言葉を背に早々に引き上げました (そりゃーそうでしょ)
まー子供のためならエンヤコラーってとこですか
平成15年1月29日
昼の営業が終り私達が(と言っても家内と2人だけですが)昼ご飯を摂るのが2時半前後です。
ほっとして、テレビに目を向けるといつもの様に12chで大昔の映画をやっていました。
恐らく、40年はたっていると思われるその映画に、往年の大スター、ピーター・オトールが
出演していたので、チャンネルを持つ手が止まりました。少々胸ときめかせ、我を忘れ見入っていると、「チャンネル変えてくれる」と家内の声が・・。  
「でもピーター・オトールだよ」「誰それ?」
「ほら、アラビヤのロレンスの主役をやった人だよ」 「へー 」と冷めた
返事が返って来ました。「これって有名な映画なの?」「どうかな」
「何て言う題名?」と催促が
早速、新聞のテレビ欄に目を通しました  
「ん・・・こんなのって?・・”何かいいことないかな、子猫ちゃん”・・・・・だって」
「えっ、そんな題名有り?」
「でも、そう書いてあるよ ハハハハ・・・・・」 「・・・・・」
その直後チャンネルは変わりました。 (それにしても凄い題名ですよね)
平成15年1月29日
先日始めて子供達と3人で電車に乗りました。(家族で出かけるときは今まで車だったので)
私の場合、外出の大半は仕入れぐらいで、まして電車に乗るとなると年に1,2回程度
ですから、いつも乗る前は少々緊張ぎみです。
車両に乗ると目線の置き場に困り、中刷りを片っ端から読み始め、それが終ると外の景色を
ひたすら眺める始末。そんな私が2人の娘を連れて電車に乗るとなると、かなりのプレッシャー
です。しかしそこは父親たるところ、動揺を感じさせないよいよう、子供達の前では沈着冷静を
装わねばなりません。切符を買う前に運賃を見る為、行き先の駅を探し金額の確認!
これは無事終了。
自動販売機で大人1枚買うのは問題無いのですが、子供2人が加わると事が面倒になりました
「えーと、合計3人で大人1人子供2人だとボタンは何処だ」仲良く話ていた子供たも
あまりの時間のロスに気が付き、私の背中にその視線を感じさせ始めました。
取り敢えず1人1人買う事に決め何度も自販機にコインを注入し、事無きを得ました。
しかし、その当たりから父親に対する不信感が芽生えてきたのか
再び乗り換えの為、自販機の前に立った瞬間、上の娘が私の顔を覗き込み
私の細部にわたる観察を始めました。「えーっと次は何処だ?新宿、新宿・・あー有った」
路線図を見上げ金額の確認。見つめる娘の視線がやや不安げになって来ました
「えーっと、・・・・・」「パパ、子供のボタンはここでしょ」「あ、そーだね」
「3人のボタンはここにあるよ」  「っあ、これ?」  「そうそう」
何と既に立場は完全に逆転し、面倒を見られているのは私になっていました。
電車に乗る機会は私よりあるとは言え、どうして子供と言うのはいとも簡単に自販機を
理解してしまうのでしょうか。
ビルの谷間で鳩に餌をやっている無邪気な子供達を見ながら”老いては子に従え”か、
と思わず呟いてしまった1日でした。
平成15年1月30日
ワイドショウでヤワラちゃんの婚約発表を見ていると、定番の婚約指輪のお披露目に
なりました
「ちょっと、ちょっとパパ見て」 あちゃー家内もあの指輪を遂に目にしてしまいました。
「本当、すごいねー」「飴玉みたいに大きいね」「大きすぎて下の指が2、3本分
見えないんじゃない」「旦那さんに甲斐性があると違うよね」「・・・・・・・・・」
「ヤワラちゃんもあんなに愛されて幸せだね」 「そ、そうだよね・・3,4000万は
するんじゃないかってラジオで言っていたよ」「ふーん、そんなにするんだ」
実は、この話題は出来れば触れられたくありません
結婚十周年の為に積んだお金が返済に回りスイートテンリングが
パーになった経緯があるからです
直接は言われないものの、含みのある言い回しが心のひだにチクリト引っ掛かて来ます
妻に言わせると、「そんな事有る訳ないでしょ、有るとしたら自分の心に
ヤマシイ処があるからじゃないの」それもそうかなとは思うものの、
やはり避けたい話題にはかわり有りません