とんかつ屋への確信  (とんかつ一幸開店までの歩み)


私が独立するなら"とんかつ屋"と決定づけてくれた人物がいます。
私が調理師学校へ通っていた19歳の頃の事です。
その時期バイトでお世話になった、当時の「とんかつ井泉」(現在「とんかつまい泉」)の
女社長、小出さんという方です。

その社長は、線香花火の発明者を祖父に持ち
元々家庭の主婦で有りながら6年の修行を経て35歳でとんかつ店を開店、
30年足らずで名だたる百貨店に34店舗も出店させたと言う凄腕の社長でした。
現在では青山(表参道)に本店”とんかつまい泉”で箸で切れるとんかつ”を売りに
多くの人々を引きつけています。

その方のある一言が、私の進路に大きな影響を与えてくれました。
「これからは専門店の時代が来るでしょう。貴方が食事に行く時にまず
食べる物を決めてから出かけるでしょ?例えば今日はラーメンにしようとか
鰻にしよう、とかとんかつに・・と言うようにね。食事も専門性が問われてくると思いますよ
ですからこれからの店は専門店が中心となるでしょう。
又食材の扱う数が少なくてすむ為、ロスも少なくてすみます」

それを聞いてから自分の進む道に尚一層、確信を持ちました。
その時の社長の言葉を証明するかのように、かつのデパートでは
当たり前であった、大きなホールで和洋中何んでも揃う形態はほぼ姿を消し
現在では有名な専門店が軒を連ねる様になりました。
そしてその専門店が、デパートの集客力に大きく貢献するようになって来ています。
社長がその当時言っていた事がまさにこの事だったのです。

卒業の時社長に「うちに来ないか」と声を掛けて頂き、
とても嬉しかったのですが
もっと多くの料理を知り、その幅と奥ゆきを修行したいと思い

西洋料理(フランス料理)の世界に進んだのです。
そこで肉の良し悪しは勿論、多くのデザートの作り方、
スープの摂り方、豚、鶏、牛肉、海老のさばき方等、
大変勉強になりました。
そして現在、とんかつ専門店の枠を広げ色々
チャレンジ出来るのも私を導いてくれた伯父と小出社長の
お陰と思っています。

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